思考力/thinkability

essay

最近僕は何をするのにも時間がかかるようになりました。僕は元々、文章を書くのも読むのも、とても遅いのです。仕事をするときは急ぎがちです。急ぐと小さなことに気を配れなかったり、いいものができなかったりします。現代の社会では、スピードが遅いのは能力が低いとされ、評価も低くみられがちです。鍛えればよくなることもあるのですが、鍛えることよって別のものを失ってしまうこともあるようです。

一般に、能力は「高い/低い」で評価されます。今の世の中で、遅いほうが能力が高いとされることはあるのでしょうか。すぐには思いつきません。中身はさて置き、学力テストで時間内に答えを出せない人や、仕事が遅い人は、能力が低いとされることが多いと思います。

「高い/低い」はゼロが基準になります。地面をゼロとし、高いか低いかは一目瞭然です。「早い/遅い」はある時刻から時計で簡単に計ることができます。僕らは目に見える、計りやすいものだけで評価をしがちではないでしょうか。

表に見えていることだけですぐに解を出してしまうことを、僕はあまりいいとは思いません。言葉や数字は、ものごとを理解するための記号であり、記号化してしまうことで、意味が失われてしまうこともしばしばです。

ある人から、「たのしい」という言葉の語源を聞いたことがあります。「手 伸ばし」から「たのし」に変化したものだそうです。つまり、たのしいとは、手足をのびのびと伸ばした状態のことを言うのだそうです。

日本語では「文化」と訳されているculture(カルチャー)のcult(カルト)には、「耕す」という意味もあるようです。カルト教団など、最近では悪いイメージでも使われることが多くなりました。狩猟採集社会から、食べ物を奪い合わずに済むように、土地を耕して特定の作物を育てはじめた人のことを、カルトと呼んでいた時代もあったのかもしれません。そして、作物が育った土地を奪い合う争いが、また始まってしまったのでしょう。

同じ土地で、特定の作物だけを育てると、土地が痩せて連作障害が起きることがあります。里山から栄養が供給されたり、糞尿を微生物に分解してもらい土地に返すことで、循環することもあります。循環しているうちはよいのですが、循環がなくなったら、また土地や資源の奪い合いがはじまるのでしょうか。

耕す(cult)ことが文化だとしたら、「文化 culture」の対義語は、「狩猟採集」や「自然農法」とも言えるのかもしれません。

何かの課題を解決するときに、早く良い解を出せる人は、思考力が高いと言えるのかもしれませんが、良い解とはなんでしょうか。もしかしたら、ゆっくり時間をかけて振り返り、すぐには目に見えないことまで考えぬいたほうが、もっと良い解が生まれるのかもしれません。

目に見える「高い」思考ではなく、ときには土や微生物など目に見えないものにも思いをめぐらせ、時間をかけた「深い」思考も必要なのかもしれません。

タノカルチャーでは、目に見える「高い/低い」だけの解よりも、行ったり来たりしながらたくさん悩み、目に見えないことまで時間をかけて考えた「浅い」解のほうに、いい評価をつけたいと思います。解が出るまでの長い時間を、手足を伸ばして愉しむのです。

あえて記号化してみます。

タノカルチャーでの思考力の物差し: 低い≦高い<浅い≦深い

優劣はつけないほうが、愉しいかもしれませんね。

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