田芹/dropwort

essay

「毎年この時期は田んぼに水が入る前にいっぱい芹を摘んで、セリご飯を作ってたんだけどねぇ。もう食べられないねぇ。」

2011年4月、福島県の富岡町から郡山市のビッグパレットふくしまに避難していた仲良しおばさん3人組を乗せ、会津へドライブに出かけていた車中で、Tさんはそうつぶやきました。

3人は津波のために避難しましたが、福島原発事故の影響で、地元に戻ることができず、仮設住宅への入居を待っていた時期でした。避難所での長い避難生活のストレスからか、3人は次第に仲が悪くなっていき、Tさんは孤立していきました。Tさんはたしか60代でしたが、避難当初は黒髪だったのに、瞬く間に白髪になっていき、おそらくタバコの吸いすぎが原因で肺の病気で入院しました。翌5月に、3人は別々の仮設住宅に引っ越していきました。

旬のセリご飯は、さぞおいしかったことでしょう。僕は原発事故後もなお、事故の原因や責任を追求しないまま原発を進めようとしている人の口に、セリご飯を突っ込んで食わせてやりたいと思いましたが、そんな食べ方じゃ、きっとおいしく感じてはもらえないでしょう。三つ星レストランの料理でも、別れ話をしながら食べたのじゃ、味も覚えていないように。

そもそも僕は、同じ福島県にいながら、セリご飯の味を知りませんでした。僕が小さい頃、母が作ってくれたような気もしますが、味を思い出すことはできませんでした。その後、僕は千葉県木更津市で米をつくることになり、あのときに聞いた田芹(たぜり)に出会うことになりました。

田芹は販売もされる一方、水田雑草とも呼ばれ、稲を栽培するのには邪魔な存在です。大規模に栽培しなくては経営が立ち行かない米農家にとっては、除草剤を使って抑制するのが主流です。僕はたった二畝ばかりの田んぼしかやっていませんが、田舎で老いてたった一人、機械で広い田んぼをやる農家さんが除草剤を使いたい気持ちを、身に沁みて感じています。

ガンジーは言います。

”世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え去るであろう。”

足元にある雑草をみんなで愉しむことからはじめてみても、不幸や誤解が少し減るような気がします。

春にみんなで田芹を摘んで、同じ釜の飯を食べて、季節を愉しむ。

心とお腹を満たしているうちに、むずかしい話はもう解決しているかもしれません。

20140405_02

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